福岡彩日記/カラーダイアリー

福岡の親と子の間をとりもつ潤滑油としてのカラー・色彩の話題を綴るブログです。時々福岡の地域ネタ、時々福岡の教育、時々福岡の女性のパーソナルカラーやファッションタイプ、色彩心理にについて書かせていただいてます。

10年目の「あんたの夢かなえたろか」✨

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 昨日、スマホを買ったばかりのばかりの9年前の古いメールを整理しようと思い、

長年開いていなかったキャリアメールを開きました。

そこに1月9日、9年前の同じ日に元同僚から送られてきたメーがありました。

 

 そのメールの発信者は、その当時の元同僚(A子)からのものでした。

A子は、前年度、発覚した乳がんの転移により、この年の年末から再入院している時期でした。内容は、取り止めのない学校の話や入院患者の不満など、入院してるとは思えないような元気で笑えるようなものでした。

 しかし、A子は最後まで、自分の病状の悪化を知る事なく、同年3月1日に45歳の若さで

この世を去って行きました。

 

 生前、まだ転移が発覚する前に、A子が私に

「私、来年この仕事を辞めるつもりなんです。今まで教員で身を削りながら仕事してきて、

やりたいこともせずにしてきたんだけど、乳がんで、ゆっくりした時間ができたことで、やりたい事が見つかったんで、それをやってみたいんです。」

と目を輝かせながら私に話してくれました。

 A子のやりたいこととは、アルバムなどに飾りをつけるスクラップブッキングというもので、昔から、自分は、一人で細かい作業をするのが好きだったそうです。それを講師として教えられたらいいなあという夢を持って、辞める決意をしていたようです。

病気になって、健康の大切さ、これからの生きがいについて考えた結論のようでした。

 

 その会話の中で、A子が私に「先生の趣味とかやりたいことって何?」と反対に質問を投げてきました。しかし、私もその当時、教員という仕事以外に趣味と呼べるものも特になく、

「やりたいこと?趣味?」

など考えることもありませんでした。

自分の中で、何となく「仕事を定年近くまでやって後は・・・・?」

ぐらいの感じです。

改めて、A子から「やりたいこと」などと聞かれて、自分の中で思わず固まったことを今でも鮮明に覚えています。

 そうは言いつつ、改めて、その場で、A子に

「やりたいこととか考えたことはないんだけど、興味があるのは、パーソナルカラー」

と答えました。その当時、まだパーソナルカラーが今ほど知られてなかったので、A子に説明すると、

「それ楽しそう、それ私も受けてみたい。」と言ってくれました。

何気ない会話でしたが、私は、自分の興味があることを口にしたのは、これが初めてで、実際に自分が、やってみたいこととして認識したのもこの時からです。

 

 2013年3月1日突然、A子の死を聞かされ、この日の会話が、私の中で忘れられないものになっていきました。

 A子のあの時の言葉に後押しされるように、この年の秋から、

「イルド クルール」の松元昌子先生の元で本格的にパーソナルカラーを勉強するようになりました。その後も、教員として過ごす日々を送っていましたが、月に1、2回のペースでもカラーの勉強をすることで、仕事とは違う自分を発見する事ができ、生活の中に、また、心の中に彩りをもたらせてくれました。

 

 あれから、9年。

 同じ日にA子のメールを読み返せたのも偶然ではなく必然だったのかもしれません。

また、A子が私を再度、後押ししてくれてるようで、心強く感じます。

 やっと、この春、自分の中で、教員という仕事を辞める決意もでき、カラーリストとして

やっていく準備ができました。

10年目にA子と共に

あんたの夢かなえて見せます